静岡の食文化を知る
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ふじのくにの多彩なとろろ汁 ~とろろ汁にとじこめられた県内の食材のゆたかさ~
公開日:2024.03.22
野菜
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特集
静岡県立農林環境専門職大学 前田節子
「とろろ汁」は自然薯をすりおろしだし汁で割ったもので、飯(麦飯)にかけて食べる静岡県の代表的な伝統食のひとつです。その歴史は古く、東海道丸子宿の名物として街道を行き交う旅人に人気があったと言われています。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」や歌川広重の浮世絵、松尾芭蕉の俳句にも登場し、文学や芸術の世界の題材にもなっています。自然薯は、長さ1.5m、直径3㎝ほどの大きさとなり山野に自生しています。静岡県では中部地域を中心に県内各地で栽培されています。
さて、「とろろ汁」の味付けは、鯖だし、鰹だし、椎茸だし等が知られていますが、東西、南北に長い静岡県では、地域特有の「とろろ汁」が存在し、そこには固有の食文化があることがわかってきました。
それでは、県内各地の「とろろ汁」について紹介していきましょう。(とろろ汁さがしマップ参照)
伊豆地方
松崎町は「サンマだし+醤油」、下田市は「伊勢海老+味噌」、南伊豆町では「鶏だし+醤油」「椎茸だし+醤油」などバラエティに富んでいます。伊豆の西海岸は、かつて近海カツオ漁船の基地として栄えていました。副業としてサンマ漁が行われ、現在も初冬になると安良里港にサンマ漁船が帰港します。南伊豆町では、鶏飯が地域の祭典や集まりごとに欠かせない郷土食として伝わっています。下田市白浜では、漁師からのおすそ分け(出荷できない伊勢海老)を冷凍保存し、とろろ汁のだしに使っています。このように、伊豆地方では、鶏や地魚などの食材でだしをとる習慣が、とろろ汁の味付けにつながっているようです。
伊勢海老だしのとろろ汁(下田市)
富士川から東
家庭用の電気は、富士川と新潟県の糸魚川あたりを境にして、東側は50ヘルツ、西側は60ヘルツの電気が送られています。面白いことに、とろろ汁を伸ばすだしに加えるのが「醤油」か「味噌」かという点がちょっと似ているのです。静岡県では、富士川より東は醤油派が味噌派に比べて断然多いのが特徴です。そうは言っても、とろろ汁の味付けは、電気の周波数のようにきっちりと区分できません。御殿場では味噌で味付けをする家庭もありますし、下田白浜の伊勢海老だしは、味噌を使っています。そして、伊豆半島を除く富士川以東では、ベースになるだしは鰹だしが大半です。
静岡市周辺
慶長元年に暖簾を掲げ、430年近く丸子宿でとろろ汁専門店を営んでいる老舗をはじめ、富士川西岸から藤枝市岡部近辺までは、鰹だしをベースにして白味噌で調味しています。丸子宿近辺にはとろろ汁専門店が多数あり、県内外からの観光客がとろろ汁を目当てに訪れています。ところで、この地域で白味噌と呼んでいる味噌は、京都の白味噌と田舎味噌の特徴を併せ持つ淡色系の米味噌で、相白味噌と言われています。
400年以上続くとろろ汁の老舗
大井川以西
大井川以西では、とろろ汁のだしに鯖を用いる地域が多くなります。鯖はこってりとしたコクがあり、昔から鯖がとろろ汁に使われていました。味つけは味噌が一般的です。最近では、生の鯖ではなく、手軽な鯖の缶詰で代用する家庭もあるようです。広大な茶畑が広がる牧之原台地は、自然薯の主要な産地でもあります。牧之原では、静岡在来自然薯品種‘農試60号’の栽培が盛んに行われ、良質な自然薯を栽培するために、原種の保存にも自然薯農家が力を入れています。
浜名湖周辺
三河の国境に近い浜名湖の西岸湖西市入出地区では、家康公に鯉や鮒を献上して浜名湖全域の漁業特権を得ていたとされています。浜名湖でとれる出世魚のボラと湖西連峰の幸である自然薯の組み合わせは、この地域が誇る冬の伝統食の一つでした。ボラだしのとろろ汁は、汁というよりもトロミがついた餡のような濃厚さがあります。盛り付ける器もどんぶりではなく、カレーライス用の皿を使用しています。その他にハゼのだしもあるようです。浜名湖周辺では、浜名湖の恵みである地魚を利用し、醤油で味付けしたとろろ汁が各家庭に伝わっています。
中山間地や内陸部
天竜川流域(水窪・龍山)、大井川流域(千頭・地名・笹間渡)および安倍川流域(梅ヶ島)で調査を行ったところ、煮干し、椎茸でとろろ汁のだしをとる地域が多いことがわかりました。新鮮な海産物が入手しにくい中山間地では、乾燥させた保存性に富む煮干しや干し椎茸が、だしを取る食材としてとろろ汁以外でも重要な役割を果たしていたようです。一方で、川根本町地名(ジナ)では、鯖だしを味噌で味付けしたとろろ汁が、さらに大井川上流の千頭では、焼津の黒はんぺんと地元の椎茸からだしをとり、味噌で調味してとろろ汁を作っていました。鯖や黒はんぺんを使っただしは、昭和30年代の海と山を繋ぐ流通システムと人々の知恵が生んだ食べ方といえましょう。
黒はんぺんだし とろろ汁定食(川根本町千頭)
川魚のだし:鮎だし
佐久間ダムができる前は、天竜川にたくさんの鮎が生息していたようです。当時の農家住宅には、囲炉裏がありました。囲炉裏に炭火をおこし、そこで鮎を乾燥させてブリキ缶に入れ保存していました。だし以外では、乾燥した鮎を手でぎゅっと握って粉々にしたものを、温かいご飯にふりかけのようにかけて食べると、美味しさが際立ったそうです。水窪の鮎だしとろろ汁では、鮎の香りを活かすため、卵は入れません。薬味には千切りユズが使われ、鮎とユズの香りがマッチし、上品な味に仕上がります。これこそ、山と川が織りなす特別な日のご馳走でした。鮎だしはハレの日の格別なだし汁で、日常では煮干しを使っていました。現在では天竜川の鮎は激減し囲炉裏のある家もほとんどありません。家庭で鮎を乾燥させる風景も見ることがなくなりました。
鮎だしの再現@水窪
2023年11月、水窪の農家レストランで開催された「第2回自然薯食べ比べワークショップ」にあわせて、鮎だしの復活にチャレンジしました。天竜川支流の気田川で鮎を釣り、その鮎を冷凍保存して水窪のお祭りが終わった9月下旬に囲炉裏で乾燥させました(写真)。
とろろ汁には、山・川・海の食材が流通経路を含めて密接に関わっており、それが味付けに反映していました。「椎茸」と「煮干し」は、中山間地においてだしをとるための重要な食材でした。水窪での食べくらべ会では、だしの素材として衰退した「鮎だし」や、昭和30年代の流通システムが生んだ川根本町千頭の「黒はんぺんだし」などを伝える機会となりました。今後は、ふじのくにの多様なとろろ汁文化と食材をガストロノミーツーリズムとも関連付け、ふじのくにの食文化のさらなる醸成と地域振興に役立てていきたいと考えています。
ふじのくに「とろろ汁さがし」マップ
とろろ汁さがしマップに掲載されているレシピ