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富士の雪どけ水と厳寒がもたらす冬の恵み。明治より小山町が守り継ぐ「水かけ菜」
公開日:2026.02.25
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富士山の麓に位置する、静岡県小山町。この地の厳寒期に育つのが、シャキシャキとした食感とほどよい甘みを持つ「水かけ菜」です。その歴史は古く、明治19年から140年もの間、大切に守り継がれてきました。富士の雪どけ水が育むこの伝統野菜は、地元の人が毎年心待ちにする冬の特別な味覚。今回は水かけ菜発祥の地・小山町を訪ね、人々を惹きつけてやまない理由を紐解きます。

御殿場市のお隣、富士山の麓に広がる小山町。その北東部、神奈川県との境に近い阿多野(あだの)地区では、冬になると青々とした菜田の緑が広がります。

現在、水かけ菜は小山町の各地や御殿場市でも作られていますが、ここ阿多野こそが発祥の地で石碑もあります。その歴史は古く、明治19年、当時の戸長(現在の村長にあたる役職)が越後から種を持ち帰ったのが始まりだと言われています。

阿多野で水かけ菜が広まった最大の理由は、富士山がもたらす豊富な湧水にありました。水温は年間を通じて12度前後と安定しており、厳しい冬でも凍ることがありません。温かな湧水が隧道(ずいどう)を通って各田へと引き込まれ、畝と畝の間を常に流れることで、冬の寒さから菜を守っています。収穫期には一時的に落水させることもありますが、田に水を張り続ける栽培方法こそが、水かけ菜の大きな特徴です。
富士山の恩恵をたっぷりと受ける阿多野は、まさに水かけ菜栽培にうってつけの土地。こうした環境のもと、水かけ菜は冬の水田を有効に活かす裏作として、140年もの間この地に深く根付いていきました。

水かけ菜の栽培が始まるのは、稲刈りが終わり、水田が落ち着く10月中旬頃。この時期に種をまき、冷え込みが深まる中でゆっくりと育てていきます。収穫期は、2月上旬から3月上旬にかけて。寒さが最も厳しくなる頃が最盛期となります。
きんと冷たい風が吹く水田で、腰をかがめて作業をされていたのは池谷精市さん。
水かけ菜の育ち具合を確かめながら「小指の根元くらいの太さが、いちばんおいしいんですよ」と、伸びた茎(とう)を一つずつ摘み取っていきます。水かけ菜は、葉だけではなく菜の花のように花芽として伸びてくる茎の部分を食べます。そのため、小松菜のように株を丸ごと刈り取るのではなく、一本一本収穫する必要があり、非常に手間がかかります。

かつては多くの家で作られていた水かけ菜も、今や阿多野では10軒ほどになりました。農家だった亡き父の跡を継ぎ、郷土の味を守ろうと、池谷さんが決意したのは約20年前のこと。
日中は農業以外の仕事をこなし、休日には田畑へ向かう。多忙な毎日、しかも凍えるような寒さの中での作業ですが、池谷さんは穏やかに笑います。「兼業農家は大変だけど、楽しみにしてくれる人の顔を思い浮かべると、力が湧いてくるんです」

摘みたての茎は、すぐに大きな樽へ。塩だけでシンプルに漬け込みます。樽の中を覗かせていただくと、茎からあふれ出した緑色の水分が満ちていました。
阿多野の人たちは、今もこの菜を親しみを込めて「水菜」と呼ぶのだとか。地区内に建てられた石碑にも「水菜」と刻まれており、この呼び名が古くから使われてきたことがうかがえます。水分をたっぷりと蓄えた樽の様子を目の当たりにすると、その呼び名の由来がすとんと腑に落ちます。
「今はたくさんは作れないから、生の茎の出荷までは手が回らなくてね。でも、うちの味をずっと待ってくれている人がいるから」照れくさそうに笑う池谷さん。その言葉には、守り続けてきた味への確かな自信がうかがえます。

宣伝もせず、店頭にも並ばない。けれど、冬が来るたびに問い合わせが絶えないのは、すみずみまで池谷さんの真心が宿っているから。池谷さんの家では、顔なじみのお客さんにだけで売り切れてしまいます。

水かけ菜を購入するなら、ぜひ国道246号沿いにある「道の駅ふじおやま」へ。ここは、富士山を目の前に望む絶景スポット。「金太郎のふるさと」としても有名で、ドライブやツーリングの定番の休憩場所になっています。

道の駅で見逃せないのが、道の駅手作りの「水かけ菜漬」です。 何よりのこだわりは、阿多野の農家さんから届く採れたての茎を、その日のうちに仕込んでしまうこと。
「いいものを、いい状態のうちに」その手間を惜しまない姿勢が、みずみずしいおいしさを支えています。

さらに仕込みは、珍しい「足踏み」のスタイル。昔ながらのやり方で、スタッフがゆっくりと丁寧に踏み込んでいきます。
ただ力を入れるのではなく、塩がまんべんなく馴染むように、やさしくステップを踏むのがコツ。強く踏みすぎると大切な茎が折れてしまうため、加減を見極める確かな足さばきが欠かせない、根気のいる作業です。

道の駅で作られる「水かけ菜漬」の人気は高く、ひと家族につき二点までという制限がかかることも。水かけ菜漬は2月上旬から3月上旬ごろまで販売されますが、店頭に並ぶそばから次々と手に取られていき、毎年シーズン終盤を待たずに売り切れてしまいます。もし運よく出会えた際には、迷わず手に入れてください。

館内の直売所には、毎年2月上旬から3月上旬ごろまで、生の水かけ菜が店頭に並びます。阿多野の水かけ菜は“ブランドもの”として知られ、その味をよく知る地元の人たちは迷わず手に取っていきます。

生の水かけ菜が手に入ったら、まずはシンプルな「お浸し」がおすすめ。さっと茹でて出汁に浸せば、シャキシャキと小気味よく、噛むほどに澄んだ甘みが広がります。
水かけ菜は、池谷さんたち生産者のひたむきな手仕事と、それを丁寧に漬け込む人々の技が重なって生まれる結晶。春を待ちわびる季節、小山町の恵みが詰まった「郷土の宝」を味わってみませんか。
#御殿場市 #小山町